昭和51年11月23日 月次祭



 今晩のお月次祭に、大盛台に沢山唐芋とじゃがいもがお供えになっとります。久留米の井上さんがお家で出来たんだと言うて、お供えになったんです。久留米から野菜をお供えになり、久留米からから薩摩芋のお供えがありました。でそのお届けをされて頂かれるのに、始めてそのうじゃがいもを育てられたら、もう大したよりに大きな( ? )とその( ? )に入った( ? )。あのう種を種って言うですか苗っていうですかね。
 それを買いに行って参ります時に、まぁ大事な事は大体まぁでるけれども、まぁ尋ねてみろうと思うてその植え方を尋ねられた。ところが家のだからさっき移り変わり、委員の方が出て来てから、こう言う風にして植えなさいこう言う風にしなさいと言うて、いわゆる手あての方法も教えて下さった。そしてもう一つ一つが今までは反対の事をして居ったという。さいでおったけれども( ? )、だから今度はそのう種もん屋さんで、禁止したところの事を教えて頂きましたら。
 今日それにあっとる様な見事な芋が非常に沢山入ったと言うのです。それでもう一杯ですね。いわゆる御本部に参拝するならば、これから東門から渡らなければいけないよ、よその方に向いたって何時までたっても、御本部にゃ到着いたしません。身内だけでもですこうすれば沢山の実が入ると言う事が分かっておる、だけどふとしたところから始めてわかった、その通りにした沢山の収穫が得られた。井上さんのことで先生からでもみんな今までは反対にしとったから。
 まぁ植わる事は植わったつがる事はつがったばってん、( ? )( ? )いかなかったというのです。もう信心もね同じ事です。今日( ? )残した時に、今日も中村さん達が親子で参ってきましたけれども、( ? )お取立て私達も懐からそのうなんだ、私がさぶだん出た人達が手紙、またはラムネと思ってるというて。そうですねぇというて。この頃から北野の秋山さんが、心臓に何か食べた材料になるまぁ思いで生命を掛けておると言われておる叔母さん貴方もかかりますよ。
 それで毎日晩帰ってから( ? )( ? )、本当に私は読ませて頂いとったぶんにゃそんな事もあったなぁ、そんな事もあったなぁと思うて、まぁ有り難いと思わせて頂いた事の中にです、一番初めに親先生に北野の教会に私お話に行きょる時にお目にかかったのが初めてで、その時大変難儀な思いをしておる時事がいくらもあった。その事を当時の大坪さんに話さして頂いたら、中村さん私も以前ののところはそれこそ、破れ靴服を着て敗れた鞄んを提げて。
 それからあのうもう今にも割れんばかりの、ぺい下駄を履いてそれこそ( ? )に( ? )とお話に見えるのを、来てもらっておった時分の事でございますから。けれども大変な言わば難儀の中でしすけれども、私自身ねその時その時にですもうぎりぎりの、必要な事に神様はおかげを頂く。いよいよなら教会の御大祭という時にゃちゃんとお供えもさして頂いたし。ご祭典の費用もお供えさせて頂いた。御本部参拝と言ったらこりゃもう絶対毎月親先生のお供をさして頂くのですから。
 もう必ずと言うてよい程お繰り合わせを頂いた。ですから私し自身がこの様な時代ですから言わば押しやり蹴やりのおかげであったから、中村さん押しやり蹴やりのおかげでよかならば、私が教えると言われた事は、そのう今でも残っておると言う事が書いてありました。成程そんころでは私自身が押しやり蹴やりでしたから、教える時もやはり押しやり蹴やりでありました。押しやり蹴やりと言う事は分かっとる、皆さん分かんなさるでしょうねその辺の事を。どうやら( ? )とというなんです。
 なら現在の合楽の場合現在私が皆さんに、学習しておる事はどう言う事だろうか。こういう明確にすりゃ絶対収穫がありますよ。こういう生き方をせにゃあなたの目的のところへとどけまっしょ。一歩一歩近づいて行きますよと。言う事を確かに確信を持って皆さんに伝え聞いて頂いておる訳です。それを最近では合楽の信心が完璧な域に入ったっと、何故私は言うておる訳であります。もちろん完成の域に入ったんですからね、これから先はもう言うならば、人の( ? )でる事はないですけれども。
 未完成のままいよいよ永遠にそれは同じ所をグルグルじゃなくて、未完成のまま永遠にも( ? )にも限りがない事、神様の懐の中というのも、つかれおいて確実に間違いなく近づいて行けると言う事です。いうならば生神に向っていよいよ進んでいけるという事なんです。自分がまぁだその道が分からん、自分が進む土台からまだっ出来ておらん、そして手立ての事を知らずに教えるのじゃないのです。私自身のおかげを頂いて現わして。 そしてこういう信心をさして頂けばこういうおかげが受けられると言う事をしかも私は確信を持って、皆さんに聞いて頂いとるのですから、間違いがないのですけれども、おかげの方に間違いがあるというのはどう言う様な事であろうか。お互いが万が一に貧相病の無い世界に住みたい。いまあぁいうた中に貧層病のない世界に住んでいると思うのでね。それはさぁ初代の( ? )けれどもやっぱそん時そん時に、やっぱりあんしんしておると言うても。
 それだけ適格にもうぎりぎりにそれこそすいこんでも、おかげを頂いておるという事実があるから、実際は都合してないんですけれども。そのやっぱり立つからというから、まぁいんぼしちく様に思う訳。そしてお金がかかるからあらと思う訳です。稽古の上においても合楽で10年と信心された方ならば。もう本当に稽古ののわたる訳にはいけないと、もちろん新たになかろうはずもない。そりゃいざこりゃないとこたないけれども、親先生にお取次ぎを頂くお願いをさせて頂く。
 そこから親先生あどう言われるからと言う様な事が、芯になって行きますから。それは言うなら新たに( ? )新たにならんは見返しをしておいて。おかげを頂いておるけれども。それをもっとすっきりとそれはもっと誰が見ても、成程と合点がいく様なおかげを頂いていくし、言うなら現して行かなけれbならない。今合楽示現活動に参画さして頂くという、あの御教えを頂いて、今日その合楽示現活動参画と言う事を、もう決して遅いごたるがあのうたかい御理解であるの決して。
 いうなら昭和52年度中だけの、只今会場中で当りと言う事に書き換える事を今朝からお知らせを頂いた。だから上野さんが合楽示現活動がしょろうがしょるまいが、もう合楽の信心はここんところを脱した訳である。だからそれにぶくぶくしよると言わばそのときにもってしまう訳です。一人ぐらい合楽示現活動出来たでしょうか。実意丁寧愛の心を持って人に語って行く。一人で合楽示現活動が出来たでいいんから、実意丁寧愛の心をもってしとるからという、一人でもお導きのおかげを頂かしてもらう。
 そういう働きに合わせて頂く自分から行ける筈はないけれども。神様におつなぎをお伺いをして、おかげを頂いて行くところから、次々と示現の働きいわば示現というのは、神仏が不思議な不思議な働きを示す現わすと言う事でございます。最近成り行きはここではもう奇跡の連続で、日田から中元さんと言う熱心な夫婦で、部落でまたお参りになります。もう本当にいわゆる示現活動に参画するなら、毎日毎日自分が死神の人を拝むと言いなった人が過去、探しておられるのじゃなかろうかと言う位に。
 毎日お取次ぎを頂いてお祓いをなさいます。そこにもともと死んだけれど沢山な人がこれから助かって行こうと言う気配があるんですよ。先日からしさんじゃないですけど、お届けをなさっておかげを頂かれた、女の方がもうそれこそ長年病気に、一人は一夜のうちにおかげを頂いて、今日は死ぬだろうか、今日はなんだろうかと思うなんか不安があり。それを今日にもおかげを頂いて、いや増々スッキリとしてきのう夫婦でお参りなりましたら、第一かいそくからありました。
 そして自分が今まで転々とあちらこちらの病院で、出会い自分同室なられた同室の方達に、その自分がこんなに助かった話をうたのように話を聞いて貰うて。それで周辺住民も連れて参ってくれと言う様な人達にとは、( ? )不思議に出来て行きよる。先日からもお参りさせて頂いたグループの中は、長年怪我で足が曲がらなかったのが。合楽のお広前でここで御理解を頂いた間は坐っている事に自分は気が付かなかった。それを主人がお前座っとるじゃないかと言われてもはっとして。
 あなたが( ? )たと思うたいわゆる金光様です。おかげで今日まで綺麗に坐って座る事が出来たと言う様なおかげ。今日は例えばそのうその奥さんのお母さんのお父さん、その2ヶ月前に気分が悪くなって救急車で倒れて、全然そのう言語がが不自由と言うより全然出らなかった、忍と同じであったそれが昨日の、昨日の所ですから一昨日でう、なんとかそのお医者さんがいなかった、それでお父さんがねあんた( ? )さんがおらんと聞いたのいうたのちいうたら、おりゃ風邪引いたごたると言わっしゃった。
 もう却ってもうそれこそいままでこうしたけれども、こう言う事がうちのおっ母さんのわからんごと言う事じゃろうかと言うごと、それこそ腰抜かさんごとびっくりされたと言事う事です。おかげでこう話せるようになって来た。昨日一昨日の話です。それこそチンバが立ち上がるいうなら盲が目が開く。言うならお広前をごじゅんと言う様な、奇抜なおかげが今の合楽に現れております。きのうあのう八女から後藤さんをのお導きでお願いしてあります方でしたが。
 うつ病でもうもういよいよ死期を待つばかりの病人がです、おかげを頂いてお願をして1ヶ月あまりでしょうか。おかげを頂いて懐妊のおかげを頂いたというお礼のお届けが有っとります。だから遮二無二そうしてお参りはして来る人達の上に、だけそういうおかげが頂けると言うのじゃない。だから私の周囲の例えば( ? )申しておりました様に、合楽理念を元にしてと言う事がです、今までおかげを頂いて参りました、訳で成り行きを大事にするとか、成り行きを尊ぶとか。
 それぞれの事があぁ言う問題が消えていくとか、私は本当に一つの権威を持った、ひとつの言葉は素晴らしいと思った事は、こちらにはせんにはなにか皆さんに出来ていることが出来ない事は残念ですけれども。今日偶々医療協会の大店。若先生は名実ともにといつの教会ではちょうど先生の言葉が載っておった。それにはねすべての事をね鮮やかに頂戴して行こうと言うておるのです。全ての事がね鮮やかにしかも強大していこうと、あれやこれやのにろくなものに病で。
 おれやこれやのに不足な事はありはせんのだから、どう言う事でもそれをしかも鮮やかに受けて行こうと、そして先生自身があのような御比礼を( ? )を頂かしておられます。だからその事がいかに本当なことかと言う事が分るじゃないですか。曲がりなりにもなら私共がです、成り行きを大事にしてきた、それから( ? )にゃおかしかと人の出て来た。そういう稽古をして来た。ですからそういういうならばおかげというものがです総ての事がらにもうわじをつけるとか。
 最近では3割ね全てを整わせんちゅ親神様の御働きなのだから、御働きと受けてもう疑うと言う生き方を、いわゆるつけた事にいわばもう合楽じゃなっとる訳。それでただこれだけのおかげを頂ておる、それでもまぁだまぁだ足りないものを顧みておったところにです。それでもやはり教師の神と言われた、大阪のそのう瑞穂教会の親教会で当たります、玉水教会ね、湯川先生の御信心がですどういう信心であったかというと、そういうおかげを受けていく生き方を同時にです。
 なそうと思えば子供でも成せること、為せば成る為さねばならぬ何事も、なさぬはおのがなさぬ成りけり。それをけんせんきにしいだから致しますとです。とても悩みが突発の様にある。けれども実際は本当はここにこういう気持ちになるという。今日も若先生と、研修の時に話した事でしたけれども。その成り行きを大事にするとか、いま大阪の三宅先生が仰っておられる様に、全ての事をお頂戴してして頂くという事。それは親がする事であるから、決してところにやらないこと。
 親がこうこうにとつがないと言う事は絶対にない事。それを信じて御父さんやら師匠あざやかに頂き続けると言われる、それを私共は実行してきた訳。私実行してきた訳。それで今日の合楽の御比礼がある訳、それでもまぁだどこにか問題ないものがあったと、神様の願いが大きい。その神様の願いに合楽教会大発展の御神願ということがですね。りょうりして参ります時に、先日からも親教会の今度の来月3日が記念祭です。合楽から100名だけお参りする事にしとるけれども、一向に申し込みがないといわれた。
 皆さんどうぞ私の事を本当に親先生と言うて下さる人方々がね、ともかく私の親ですから親の親じゃなくてです、それに申し込みがないちゅうのはおかしいなぁと私思うくらいです。しかも私はもう100名合楽にお参りをすると言うてあるのですから。もう締め切りましたと言うごたる言う具合にです、申し込みがないと言うのは、おかしいのところに合楽の人のたかさがあるという。成そうと思えばすぐ成せれる事は成さぬのです、そう言う事すらなさにゃなされん事をお願いしとります言うときたいでしょう。
 そすと100名なら100名がピシャッと決まったら、もうそれで安心して親教会にも取り組みの100名出来たということは上げて、昨日一昨日からそのう会合がありまして参りましたけれども。まぁ折角100名だけはお参りして頂く様に、と言う風にまぁ言うております。成そうと思えばどこまでにもなされん事をも、今までなしていなかったと言う事を改めて合楽の方達の気付かなければいけないと。私はそういう事に気づかせて頂いて、なら( ? )かですね。
 いま合楽で毎日きしておると言う様な、いわゆる水も漏らさぬようなおかげになって来たと言うこと。完璧な信心の域に入ったと言う事の印を分かるでしょう。今朝私は庭に出毎朝御祈念をする時に頂いたら、動かない大きなね扇を頂くんですよ金の扇を。あの舞いに使う金の扇があります、ですからそのこれはこんなあの黒のね、漆のような( ? )( ? )で( ? )なんです。そして上はもう見事な金の扇子、扇を頂いたんです。これはあのうおかげで苦労しておると言う事です。
 じゃそういたすまでこんどはおかげが、言うならおかげのお繰り合わせが非常に。いうならば頂けそうになったと言う事は、こうながと思うのです、それが今日のあのう小さい外国製のがずらぁっと一列方式に、あれは熊本の方当りで昨日みんな参ってきてから、あのう後世に伝えて頂いたらと言うて置いて行った。私は今日の御祈念にあのう教祖にお礼を申してもらようりましたら。テリンジャーの修繕可能なちょうぼれきというのと、なんか思い出させて是できょるでしょうが。
 これがなったりこれがした人がこう言う風に聖徳太子に髭を生やして、自転車に乗って何十台と向こうへばぁっと勢いようやって来る様な。場面ががございます。その場面を頂くんですよ。今からも聖徳太子が平山さんのところへばぁあっとおしえてくれよる。教えてくれる程しのおかげがきたら、これをおかげになさなければいけない。やりそのしてんじゃつまらん。そこにねそんならあのう2本だけ支え合う、合楽のグリーンと言われる成り行きを大事にするとか。
 おいとのか私だけで行くとかで言った様な心情を何十年稽古して来て、まぁ出来てそれを出来ると思わんようにしても、まぁ出来た事としてそして今合楽理念をあいじようのところの、なすとならば子供でもさせる事が出来ると言う事を、疎かにせずになしていこうという、ひのけんをさせて頂くどうかになりましたぐんで。いわばもう合楽理念が分かっておる。ただその実行が出来ていないと言うだけである。なぜ成り行きを大事にしなければならないか。
 それは全てが天地の親神様が私どもに力を下さろうとする働きであるから、皆さん御比礼はそれこそ有り難くごちょうだいの通りしょる、鮮やかに努力をどな事があっても。鮮やかに受けて行こうと、親が独学の子供に対しておっしゃるのはない。親が皆さんの上にちょくばいのものはないことはないのだから。大は痛い事であろうが痒い事であろうが苦い事であろうが臭いとまであろうが。おちょうだいをすめたらというのが、もうどだいのところにはあるのです。
 だからそう言う事が出来てしまう、出来ましてもう出来たごととしてです、今合楽で言われておるところの、合楽の信心が完璧の域にはいったと言うのは、今迄疎かにしておったところついて行こうと言うのです。それを私が頼む様に親教会の金光様の記念祭ですから、合楽から100人はお参りさして頂くのですから、どうぞ皆さん人が明くる日はどげんかしてでも、あすこに書き出しがしてあったと言うてもらいたい、私の心の中の喜びと言うものは。やぁ本当に暫く信心の稽古をしとる。
 親先生任せ親先生任せ言うてもそんなこつはと思われん訳。ところが何回言うても何回言うてもしるしかというても、まぁだお弁当さえ持ってこんと言うのであると言う事がね。私はもうどこまでも成そうと思う例えばこれ実行していない事を、言うなら合楽の一番の欠点がここにあると気づかせて頂いてです。おかげを頂いて行かなければいけないと言う事です。で何て言う事、成そうと思えば子供でも成せれると言う事です。それとてもですもうよかよかあぁたどうせ参るというところで。
 そんな事が合楽の一番の欠点だったということなんです。( ? )心ある人はどうぞ皆さんが申し込んで行って頂きゃ、あすの( ? )てきになるでしょうね。こうしの積りで一つ皆さん12月3日はお参拝頂きたいと思います。そういうところでの合楽の信心をこれから表して行く一つの姿勢であります。神様は( ? )( ? )しておったのにです。言うなら今日私はその御神願を頂いて、いろいろ( ? )するんです。もう見事なそれこそ陣中のまぁ言うならば扇です。
 それにべんはひろくだからやんがてそれをつけおったと、確認しておったと言うものがです、これからは言うならしんせんの( ? )不思議だと神様は見てござる。今日は今日月次祭にゃ来てくださるぜんたろうは、そのまま( ? )という中に道程と言うのは、いわば聖徳太子がねそれこそもう勢いよく、こちらに走り込んで来ござるというですから、それを受け止めると言う号です。今合楽をしておるところのです( ? )はおかげというか、奇跡というか。
 その世を奇跡的なまでのおかげをせん、なら長年信心しておる上に受けられないという事は絶対ないと言う事です。だから今奇跡が起きておる奇蹟が現れておると言うのは、どこまでも頂く信心なんです、だから頂く信心ではいけないから心を産みなす信心にしなければいけない。産みなす信心とは。私共がいよいよ合楽理念に基づいて、しばらく合楽理念あげてのところの信心のいうならば、併合と言うかねどうするていうまで、お互いが憂慮させて頂いて神様の下さろうとするところのおかげを頂きとめて。
 いよいよお役に立つ信心。いうならば合楽示現活動に参画すると言う事は、もうお互い特殊な人というても( ? )( ? )じゃなくてもね。それをもう( ? )に成っておるといくとしてですね。いわば合楽の開教15年祭に向って、お互いに信心を進めて行こう言う生き方。そこには水も漏らさん生き方が、それは今までもうよかよかと言った様ないうならば子供でもやろうと思えば出来る事。私は皆さんからこれあのう御用について参ります時にです、もうねまきのままに上っ張りを着て引っかけて来て。
 そんなら目立つのは、でもやっぱり羽織着て袴履いて白足袋を履いてから。ひしゃくはここへ出て来ません。私一人の上に誰ぁれも見ちゃおらんのですよ。だから覚えとる( ? )はないけれどもです。例えば面倒くさい思うとこでも、やろうと思えば子供でも出来る事でしょうが。そして先ず久富さんの( ? )で( ? )( ? )また( ? )またおかげを頂くです。だからなら皆さんが( ? )( ? )( ? )時にです。よその( ? )( ? )来た様な事じゃなくて。
 ちょっぴりそのう揃うだけでもそれは有り難いです。それに皮をむいて干したとならもっと有り難いです。成そうと思えば成せれる事なんです。もうそれむかいません成そうと思えば成されるです、よう迂闊にしておる。さぁ親教会の付き添いにして親先生らい、合楽から100人かいせたらに、なら私も書いて下さいとその場で言えれる事も言われん。そのばでしょう我々人を( ? )して出来た事もしない。だから( ? )お参りですけれども、とうと( ? )ましたら。
 綺麗にするとお弁当だけで800円かかるげな。700円とあのう800円かかるげな。だからあのうどうぞ神様が損しなさらんごたるふうの( ? )して下さいよね。これは今日から私( ? )かもね。今日中に親教会の場合にはそれはせにゃいかんです。あのうけいふうが親先生方が入ってから、220円。それから落成記念のタオルが120円納めるんで、そう言うのを入れておれいそうがこんだ全部( ? )ですから一人当たり300円。
 それにお供えの一級酒のお神酒が110円げな1本づつ付きます、それで700円かかるんです、そして今度はごかいん事はあのう数え切らんくらいあるそうです。あのうお酒を割って皆さんに( ? )( ? )ます。そして書き物が出るそうです。だからそげんとを入れようるとやっぱり5000円一人( ? )( ? )なら5000円以上に( ? )くる。いやほんなこっちゃんね。ですからね、是は( ? )合楽の人達にはですね( ? )こう100人なんか( ? )( ? )( ? )とん事ですよ。
 だからもとを( ? )にゃその御本部参拝の時でないと( ? )金光様の( ? )( ? )がわかる。( ? )やっぱり信心のひとつの、やっぱあのう教育ですからね。まして( ? )する教会と言うなら、なら義理もありゃあぁそのう付き合いと言う事もありますでしょう。その辺の事もよく考えとって頂かにゃいけないと思います。
 なら親教会の記念祭の事、ですから神様が今日もですね言うならば昼弁当が( ? )じょうも必要にぶんかい進んできておるです。だからねなら成り行きを大事にするとか、合楽理念とという難しいなら、もうそりゃ出来たものとして、神様は見て下さるしょうから、今やろうと思えば子供でも出来ると言った様な事を、疎かにしておる事を一つねをこがす行じて行くところの信心をして頂いて。
 それこそあのう事で今朝御神願に頂いた、金の扇に漆塗りの黒の扇子を頂いて、いよいよ広がりに広がって行くおかげを頂く、何と言うても私は信じさして頂く貧相病のない世界に住まわせて頂いて。有り難い勿体無いは信心の真で現されて、そしていよいよそれ本当にいよいよ思い出させたようなおかげ頂ける。いわゆる真善美輝くばかりの世界に住まわせて頂くおかげを頂きたいと思います。
   どうぞ。